浅草から北に行った吉原や南千住には何があるの?
浅草の北の方に行くと、昔遊郭があった吉原や南千住があります。
浅草から歩いていける場所ですが、現在では何があるのかよくわからないですよね。
今回は、元々遊郭があった吉原や北千住には何があるのかについてご紹介していきます。
浅草の他のエリアを見たい方はこちらからご覧ください。
吉原神社
まずは、吉原神社のご紹介をしていきます。
吉原神社には弁財天が祀られていて、「開運」「商売繁盛」「技芸上達」のご利益があるとされています。
1617年に徳川幕府の命によって江戸市中各地にあった遊女屋を日本橋葦町あたりに廓(くるわ)として統合されたのが江戸の元吉原です。
これが、のちに千束村(せんぞくむら)へ移転されたことで、浅草の北側に位置する千束に遊郭ができ、現在の吉原になったと言われています。
観光で行く際には、縁結びを求めていくことが出来ますが、男女で行くと弁財天様が怒って仲を切り裂いてしまうと言われているため、女性だけで行くのが望ましいです。
吉原弁天池跡
次は、吉原弁天池跡のご紹介です。
この吉原弁天池跡には悲しい歴史があります。
1875年に関東大震災が起きました。
当時の遊郭は高い建物にぎゅうぎゅう詰めになって遊女がいたため、関東大震災のときには、現在の消防法とかもなく逃げ遅れた人が多くいたのです。
その数なんと500人です。
500人の遊女が逃げ遅れ、助かりたい思い出建物の下にあった弁天池に飛び込み溺死してしまったのです。
そんな悲しい歴史を持っている吉原弁天池は幽霊が見えると言われているスポットでもあります。
近くに大病院もあるので尚更なんでしょう。
ただし、筆者はそんなのは信じていませんが、そのような歴史を持つ場所に行ってみるのも勉強になるのでおすすめです。
石浜神社
次は、石浜神社のご紹介です。
石浜神社では、七福神の寿老人が祀られています。
ご利益としては、「国土安泰」「福徳」「開運」「勝運」などがあります。
また、境内には富士遥拝所があります。
これは、昔の人は今よりも強く富士山の信仰をしており、富士山にいくことが簡単ではなかったため、富士山の石を持ってきて現地に行かなくてもお参りができるように作られた歴史があります。
石浜神社はかなり大きく、見応えがある神社なのでぜひ行ってみてください。
ただし、浅草から歩いて行こうと思うと45分以上はかかるので覚悟してくださいね。
橋場不動尊
次は、橋場不動尊です。
橋場不動尊では、浅草七福神の布袋尊がいるところです。
お寺のご本尊としては、不動明王が祀られており、ご利益としては「煩悩退散」「厄除け」「商売繁盛」があります。
場所としては、石浜神社から徒歩10分くらいですが、浅草や南千住駅からはかなり遠いので覚悟して行ってみてください。
また、人力車にお願いする際は、人によっては対応範囲外のことも多くあるのでお気をつけください。
鷲神社(おおとりじんじゃ)
最後は、鷲神社(おおとりじんじゃ)のご紹介です。
この神社は、入り口に大きな熊手が飾られており、毎年スケールアップしています。
それもそのはずで、鷲神社は「酉の市」発祥の神社と言われています。
毎年11月には酉の市にて熊手が売られ、多くの経営者や商売に関わる人が買いにきます。
熊手は、福をかき寄せるという意味で商売繁盛のご利益があります。
前年に購入した熊手よりも大きいものを買うのが習わしで、人によっては二人じゃないと抱えきれないくらい大きな熊手を買っている人も見かけます。
普段は熊手は売っていませんが、撫でる場所によってご利益が変わるなでおかめがいるのでぜひ行ってみてください。
まとめ
今回は、浅草から北に行った吉原・南千住エリアをご紹介してきました。
浅草から歩くとそこそこ遠いですが、意識しないと一生行くことのない場所なので一度は行って欲しい場所です。
吉原・南千住エリアは歴史が深いエリアで、特に吉原だけでも行ってみてほしいです。
浅草が一日では回りきれないという理由が、このエリアもカバーしているからとも言えますが、浅草の奥深い場所なのでおすすめです。
デートで行くのもよし、友達と行くのもよし、一人でも楽しめる場所なのでぜひ行ってみてください!